結論のおかしい読書メモ。

第四の手   ジョン・アーヴィング

この翻訳の滑稽味はどうしたことか。
原文をチラ見してもさっぱりわからないが、そんなに愉快な英文なのだろうか。
どこにすっ飛ぶのかまったく予測がつかない脱線モードをきわどくまとめて
ライオンに手を喰われたモテ男の遍歴と周辺をつづる。
ところで、ジョン・アーヴィングの長編って年ごとに下品になるよね。
下ネタ分量がとめどもなく増えていくのだが。「サーカスの息子」とか、すさまじい。
それが、おっさんクオリティか。
そういえばアーヴィン・ウェルシュもどんどん下品になる。
「マラボゥストーク」とか、トレスポ続編とか、すさまじい。
Irvineという名前には下品が入っているのかもしれない。

アメリカにいる、きみ   C・N・アディーチェ

作者がひじょうに可愛い。
いや、そういうことじゃないな。
とても、すこやかだ。
描かれているのは内戦の虐殺や移民への差別やビアフラの貧困なのに
豊かで、すこやかだ。
これは困る。いや読んでるわたしが勝手に困るだけだが。
たぶんその違和感は、ナイジェリア出身でそのアイデンティティを創作の起爆剤に持ちながら
今現在。アメリカに暮らしてアメリカで出版ができる。
でたらめなまでの温度差。
そこから来ているんだと思う。
暖かいバスタブの中でのびのび語られた凍死の記憶だ。

マイケル・K   J・M・クッツェー

しんどい。読み通せない。
淡々と進む描写のどこかでいきなり主人公が
さらっと人間性ゼロ地点に墜落している。肝が冷える。
生まれた瞬間、南アフリカの奇形の黒人であった時点で
マイケルの人生は閉じられていたのかもしれないけれど。
愛を出したいのに出す方法をまったく周囲から学習できない環境で
飢えて山羊を殺してみたけど食べられない。どうしていいかわからない。
「大きい動物は、殺さないほうがいいとわかった」そんな愛は、どうなんだ。
で、農家から家畜の飼料を盗んで食べて生き延びる。
人が家畜と等価であることを、こんなに静かに語られたくないや。

偽りをかさねて   ジョディ・ピコー

文章に挿入されてるアメコミは、要らんのではないか。
アメコミに仕込まれたクイズも、要らんのではないか。
ダンテの「神曲」つながりも、要らんのではないか。
これがつまりアメリカン・ベストセラーというスノッブぶりなのだろうけれど、
たしかに面白くて次は!次は!と気になって読み続けてしまうのだけれど、
レイプ、十代の逸脱、家族の断絶という社会問題を扱っているぞという
錦の御旗をかかげている通りなのだけれど、
オトンが漫画家でアラスカ出身のビーストな逃亡者という設定はいらんやろ。
ヒロイン娘の彼氏も、別に殺害されんと構わんやろ。
売れることがあらかじめわかってるベストセラーをより長く書くために、
むちゃくちゃしてないか。マンガのセオリーに寄り添いすぎてないか。
ああ、これ少年ジャンプだ。

薔薇と野獣   フランチェスカ・リア・ブロック

乙女だ。どんなにハードに堕したって乙女きわまりない。
童話を換骨奪胎したハイエンドなアメリカンストーリー、巧妙で美しい。
シンデレラも赤ずきんもみんなヘロイン打ちながらクラブ通いだ。パーティーピーポー。
雪の女王もクラビング。パンクなゲルダが逆襲してはりますな、
オレも雪の女王はネタにしたけどセンスがてんで違いますな、乙女にはかなわないな、
お菓子食べながら読むのにちょうどいいな、根底にまるで響かない美々しさ軽やかさ。
嶽本野ばらっぽい。ノバリー。

燈台守の話   ジャネット・ウィンターソン

詩だ。完璧に。訳したひとに敬服&乾杯。
岬にくさびのように打ち込まれた斜めの家で育つ女の子、
おかあさんと命綱で結ばれてずり落ちながら暮らす、
その冒頭から一気にあり得ない世界描写に持っていかれます。
ジャネット・ウィンターソン女史には「オレンジだけが果物じゃない」に驚かされましたが
寡作の作家?ってインターバルおいて、華麗に進化して戻ってきたぜ、って
何があったんだか知りませんがパーフェクトに成長しすぎです。
なんという感覚。なんという世界の見え方。
そして灯台。読んでたら自分の中で灯台ブームになったんですが
そのまま塾に行ったら宗教やってて神がかった十歳児がいきなり私の顔見て
「・・・灯台。あ、せんせい灯台ってどこにあんの、なんで光るの」
ってエスパーっぽく言い出したので腰が抜けました。心読むなって。

ティンブクトゥ   ポール・オースター

冒頭、巧妙な語りにだまされながら、
死にかけてよたよたしてるウィリーの方が人間で、
明晰に語るミスター・ボーンズの方が犬だということに、
気づいた瞬間に視線がくらりと低くなります。一気に犬世界に意識がイン。
この「みごとな転換」があちこちに仕掛けられていて、
予知夢と現実、飼い主の饒舌な嘘と乏しいリアル、
薄っぺらな富と豊かな貧困、スノッブと超俗、大人の幼さと子供の老成、
残酷な展開と優しい主観が一緒くたになって錯綜、
最終的には犬の選択にもはや滂沱と涙。
ポール・オースターってイケメンは噂の初期三部作、正直なところ
気取った知性でついていけなかったんだけど、
「ミスター・バーティゴ」以降の回帰っていうかジュヴナイルに近い語り口、
“弱者の成功、って結局どうでもいい、暖かく寄り添える熱源がすべて”って
話の落とし方に概念がぐずぐずに崩されて泣くだけ。すっげえ。
愚者でもいいんだ、って心ががるがる掘り起こされます。

ちびの聖者   ジョルジュ・シムノン

メグレ警部で有名な作者の自伝的小説。
とにかく緻密な時代感がすごい。
日本もこうだったんだろうな、という普遍的なほどの
近代化直前のフランス、子ども時代の町の光景。
スローライフとか寝ぼけたこと言ってられない、
窓から排泄物を投げ捨てる生活と売春や児童虐待あたりまえの環境、で
すべて見つめる無抵抗主義のちび主人公、聖者気取りとあざ笑われて、
この子は絵描きになるしかないだろうな、と思って読み進めるとやっぱり
絵描きになるわけで。世間システムを外れた本質はもうどうしようもない。
価値観がパーフェクトに自分の内部にしかない、外部はどうあれ
関係ない。ひたすら見つめる対象としてそこに存在するだけで。
なんとかなっちゃう天才と出会いを持っていてよかったね、つって
羨ましくもプレミアム共感しました。プティ・サン。

すべての小さきもののために   ウォーカー・ハミルトン

痛い。
可愛らしすぎる表紙と童話的な語り口に油断して読んでいると
ウサギが轢き殺されるところネズミが握り潰されるところ、
主要な人物が反撃を試みたあげくあっさり虐殺されるところまで、
骨身にしみるほどリアルで痛い。
1968年というバイオレントな時代に書かれたこの本は、
子どものまま成長が止まった主人公と世捨て人の老人が、
文明に殺された小動物を「埋葬する」というおくりびとな話なれど、
バックグラウンドには安寧のない時代と社会的強者への恐怖感が、
みっちみちに満ち満ちていて安らぎが遠く、苦しい。
心優しく無垢では生きていけないんだよねー。という無言の叫びが
牧歌的な背景に散りばめられ、うたかたのユートピアとの対比を濃く描く。
こんなメッセージ残して夭折すな、作者よ。
読んだ者が怖い怖いと毛布にくるまって逃避&退行したくなるじゃないか。
て言うか小動物にばかり感情移入する自分はあきらかに弱者だと認識しました。

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